神竜土地改良区の沿革
本地域における開拓は、三条実美公爵を長とする「雨龍華族農場」によって明治23年(1890年)より開始されたが、実美の逝去により主柱を失った同農場は、墾成地を分割、未墾地は政府に返納し、3年後の明治26年(1893年)に解散することとなった。
陸軍省は、雨龍華族農場解散に伴い返還となった未墾地に「屯田兵」を入植させることとし、明治28年(1895年)から翌29年(1896年)にかけて、それまで札幌に大隊本部を構えていた屯田歩兵第一大隊が雨龍郡一已(イチヤン)へと大隊本部を移駐し、5つの中隊に分かれ西秩父別、東秩父別、北一已、南一已、納内へと入植し、本地域は開墾されていくこととなった。
入植当時、屯田大隊本部では稲作を禁じており、主に馬鈴薯や豆類など畑作が中心であったものの、屯田が入植する4年も前に上川郡神居村や雨龍郡深川村では既に開田による稲の試作に成功しており、明治24年(1891年)から3ヶ年にわたっては永山、東旭川、当麻の3村に入植した上川屯田1,200戸が、やはり上官の禁止にもかかわらず水稲の試作に成功した。
ひとたびコメ作りに成功すれば、如何に上官が禁止しようとも次々と宣伝流布され、水稲試作は見る見るうちに拡大していった。入植当時から上川屯田や深川村の水稲試作成功のニュースを聞いていた雨龍屯田は開田に意気込み、明治29年(1896年)には一已で、翌明治30年(1897年)には納内で水稲試作が行われ、この地帯における稲作の歴史が幕を開けることとなる。
その後、明治32年(1899年)から始まった雨竜原野開発、明治35年(1902年)には、かんがい事業を目的とした「北海道土功組合法」が制定されると、北海道拓殖費による膨大な助成のもと各地で次々と土功組合が認可されることとなった。
こうした時代背景から、4年後の明治39年(1906年)、水源を上川郡神居村春志内の石狩川本流とし、小かんがい溝で地域一円に水を引くとする計画が立案され調査が行われた。また、これと同時に水源を雨龍郡秩父別村6条1丁目付近の雨竜川本流とした案が立てられ道庁に調査を申請した。明治41年(1908年)から行われた現地調査には道庁技師のほか、当時の一已村長や地域の徳望家など多くの有志が加わって進められたが、調査結果は大方の期待に反し、”工事不可能”という落胆すべき結論となり、一已、納内地区の住民は深い挫折感を味わうこととなった。
明治42年(1909年)、一已の西側、深川、妹背牛、秩父別の一部を包含する深川土功組合(現 深川土地改良区)が設立認可され、大正元年(1912年)からは石狩川を水源とする「大正用水」の大工事が着々と進められ、大正5年(1916年)の完成をみると同地区の水田には黄金の穂波がうねっていた。
この様子を見て焦りの念に駆り立てられていた神龍区域の農民有志は、一已村の徳望家のもとに集り、東北帝国大学教授を招き入れ指導を受けることとした。大正3年(1914年)には同大学工科専門部の学生が動員され、石狩川神居古潭に水源を求め測量、工費算定するも、結果は天文学的なあまりにも巨額な工事費となり、かくしてここにまたも断念せざるを得ない結果となった。
しかし、有志の者は意を決して、“いかなる困難に遭遇しても一已、納内のかんがいし得る土地は全部水田に変える”との強い発想のもと東奔西走し、大正8年(1919年)、同志を集め土功組合設立発起人会を開催するに至り、水源となる上川郡神居村の「神」の文字と、かんがい区域となる雨龍郡一已村(※大正9年(1920年)6月に分村されるまで納内は一已村の一部であった)の「龍」の文字をそれぞれ一文字ずつ授かり「神龍(しんりゅう)」と命名し、大正9年(1920年)3月、神龍土功組合設立総会が開催され満場一致で全議案が決議されると、直ちに北海道庁長官へ設立認可申請がなされ、大正11年(1922年)2月28日、幾多の困難変遷を経て、ついに地域農民の悲願であった「神龍土功組合(しんりゅうどこうくみあい)」が設立認可されることとなった。
大正13年(1924年)7月、かんがい事業の起工認可を受けると、水源を神居古潭上流約2.2kmの上川郡神居村春志内 石狩川左岸に求め、神居古潭駅付近で交互する山岳地帯を約3kmに亘り隧道(ずいどう)と開渠で流下させ、その下流にて石狩川の河底を削岩し逆サイフォンにより右岸へと横断させ、函館本線に沿って西、南へ流下させることとした。昭和2年(1927年)5月には全工事が完了すると、待望の石狩川本流からの取水による安定した水源を確保することに成功したのである。
昭和24年(1949年)に「北海道土功組合法」が廃止され、新たに「土地改良法」が制定されると土功組合は土地改良区へと組織変更されることとなり、本組合も昭和26年(1951年)9月1日、神龍土功組合から「神龍土地改良区(しんりゅうとちかいりょうく)」へと組織変更を行い、新たな土地改良法制度のもと受益地を拡大しながら、石狩川の流域に広がる神竜区域の本格的な土地改良事業が始まることとなる。(※昭和41年(1966年)8月に神龍の龍を竜に改め現在の神竜土地改良区となる。)
しかし、この取水施設は無堰堤であったため、石狩川河床の低下により所期の取水ができなくなり、蛇籠(じゃかご…物資の乏しかった戦時下にはぶどうツルを編んで作った籠に玉石を詰めた物を使用していた)締切によりかろうじて水位を堰上げ取水を行っていたものの、ひとたび渇水になると水位不足により必要な水量の取水が困難となり、逆にひとたび出水が起きるとそれらの蛇籠はいとも簡単に流亡し、その都度、渇水を待って組合員が総出で蛇籠堰を復旧するという、かんがい用水の確保そのものが危ぶまれる非常に不安定な状況となっていた。
このような状況を改善するため、昭和27年(1952年)から同37年(1962年)にかけて「国営かんがい排水事業 神龍地区」による、頭首工、幹線用水路等の基幹施設の整備が行われ、続く昭和39年(1964年)から同49年(1974年)にかけて「国営附帯道営かんがい排水事業 神龍地区」による幹線用水路4条28kmの整備が実施され、地区内全域における安定的なかんがい用水の確保がなされることとなった。
かんがい用水の確保と同時に、それまで小区画、不整形であった生産基盤の整備を求める声が高まり、昭和40年(1965年)から同42年(1967年)にかけて「団体営構造改善事業」4地区が実施されるのを皮切りに、昭和43年(1968年)から同52年(1977年)にかけて「道営ほ場整備事業」7地区が実施され、あわせて整地工2,600ヘクタール、暗渠排水2,200ヘクタール、用排水路480kmの整備が行われると、神竜地区3,000ヘクタールの内、約90%にも及ぶ水田が大型化され農業の近代化が大きく進展することとなった。
その後、山間部の開発が進むにつれ、中小河川の流量がたびたび渇水するようになっていたことから、中小河川等を水源にもつ地域は水不足に悩まされるようになり、加えて農業用機械の普及や大型化等に伴う代かき期間の短縮と用水量の増量が必要となってきた。また、寒冷な北海道の厳しい気象条件の中で水稲生産を可能とする技術である「深水かんがい」に必要な用水量の確保などが求められるようになり、昭和52年(1977年)より神竜、深川、空知の3土地改良区区域を包括する約11,900ヘクタールを受益面積とした「国営かんがい排水事業 北空知地区」が実施されることとなった。神竜地区においては、神居町春志内の石狩川本流へ自動制御機能などの近代的な設備を備えた頭首工を新たに造成することとし、位置もこれまでより約100m下流へ移動させることとした。また、導水門をこれまでとは反対の石狩川右岸に設け、常盤山裾をJR函館本線と平行する隧道3.2㎞で貫通させることとし、神居古潭地区および音江町内園地区の水田には道内最大規模となる水管橋で石狩川を横断させる方式とした。この大事業により頭首工1基、揚水機2基、水管橋2基、用水路6条24km(隧道3.2㎞を含む)の整備が進められ、平成17年(2005年)、28年間もの永い歳月をかけてついに本事業が完工することとなった。さらには本事業に附帯して昭和59年(1984年)から平成11年(1999年)にかけて「国営附帯道営かんがい排水事業 神竜二期地区」が実施され、用水路6条22kmの整備が進められ、これまで水量が不足していた中小河川等からの取水や用水の反復利用を廃止し、併せて地区内に点在する中小揚水機場の統廃合を行い、新たに建設される忠別ダムを抱え水量豊富な石狩川に水源を一元化する水掛かり区域の抜本的な用水再編、深水かんがい用水の確保など、良質な水稲生産に必要不可欠なかんがい用水の安定確保がなされ、併せて施設の老朽化による機能不全や、年々増嵩していた維持管理費なども大幅に改善されることとなり、神竜地区の農業生産性向上と水管理の合理化が図られ、これまでのように水に不自由する心配の無い、現在の安定的な用水体系が確立されることとなった。
その後、少子高齢化や国民の食生活の変化などが進み、コメの消費が落ち込むようになると、転作による水田の汎用化が求められるようになり、地域の農業者からは乾田化などの排水対策を求める声が日増しに高まっていった。また、農業者の高齢化や担い手不足による農業法人化や一戸当たりの経営規模拡大が急激に進み、同時に農業機械の大型化が進むにつれ、これまで以上の作業の効率化が必要不可欠となり、さらなるほ場の大区画化を求める声が高まっていった。このことから平成5年(1993年)から同25年(2013年)にかけて「道営ほ場整備事業」および「道営経営体育成基盤整備事業」11地区を実施し、整地工260ヘクタール、暗渠排水1,280ヘクタール、用排水路132kmが整備され、併せて団体営土地改良事業による整備も実施され、汎用化や大型機械に対応した農地の排水対策や、大規模経営化に向けた水田の大区画化が図られた。
現在、今後さらに進むであろう農家戸数の減少を見据えながら、さらなる大規模経営化に向けたほ場の大区画化や、水管理の省力化に向けた用水路のパイプライン化等の整備を「道営農業競争力強化基盤整備事業」10地区などによって大規模に生産基盤の整備が進められている。
顧みれば、獣達の鳴き声が木霊する鬱蒼とした雨龍原野に開拓の鍬が入れられて以来、想像を絶する厳しい自然環境の中で、立ちはだかる幾多の困難や猛然と襲う自然災害にも勇敢に立ち向かいながら、それらをひとつひとつ乗り越えてこられた先人達の血の滲む執念と、この地一帯に黄金色の稲穂が波打つ姿を夢見たに違いない先人達の揺るぎなき信念のもと、これまで土地改良事業の積み重ねによって克服し築かれてきた本地域の美田は、現在「ゆめぴりか」、「ななつぼし」、「ふっくりんこ」などの食味ランキング特Aに輝く道内トップクラスの高品質米産地として、秋には見渡す限り黄金色の稲穂が波打つ見事な優良農地へと発展を遂げた。
この「優良な農地」と、農業生産に重要かつ不可欠な「かんがい施設」を未来永劫しっかりと引き継ぎ、本地域を担う農業者たちが将来にわたって夢のある農業に取り組むことができるよう、私たち神竜土地改良区は、地域に根ざした土地改良区として今後も地域農業を支える組織であり続けたいと考えています。
土地改良区の概要 (令和4年4月1日現在)
名 称 | 神竜土地改良区(水土里ネットしんりゅう) | 理事長名 | 北村 薫 | |||||
住 所 | 〒078-0151深川市納内町3丁目3番40号 | 電 話 | 0164-24-2611 | |||||
設立認可年月日 | 昭和26年9月1日 | 認可番号 | 北組第67号 | |||||
関係市町村 | 深川市・旭川市・秩父別町 | |||||||
関係農協 | JAきたそらち・JA北いぶき・JAあさひかわ | |||||||
組織の沿革 | 大正11年2月28日 神竜土功組合 (内地第6417号指令) | |||||||
地区認可面積 | 2,933.70ha (田) 認可(変更) 令和4年8月31 日 空調整第2212号指令 | |||||||
賦課面積 | 田 2,721.55ha | |||||||
組合員数 | 組合員数の推移(過去5年間) | |||||||
29年度末 | 30年度末 | 元年度末 | 2年度末 | 3年度末 | ||||
237名 | 235名 | 232名 | 215名 | 211名 | ||||
総 代 | 31名(欠員1名) | 役 員 | 8名 (理事6名・監事2名) | |||||
支 線 組 合 | 7支線組合 | |||||||
職 員 | 12名 (参事・事務職3名・技術職8名) ほか臨時5名・期間雇6名 |
◎維持管理施設
施設名項目 |
頭首工 (堰) |
揚水機 | 用水路 | 排水路 | 農 道 | |
一般 | 一定要件農道 | |||||
管理施設 | 1ケ所 (1ヶ所) |
13ヶ所 | 755条 323.7km |
720条 179.4km |
119条 241.9km |
87条 49.2km |
◎事業実施状況(国営土地改良事業・第3次道営土地改良事業ほか)
事 業 名 | 工 期 | 総事業費
(千円) |
事 業 内 容 |
国営神竜二期地区 土地改良事業(着工予定) | R4~ R18 |
16,000,000 | ・神竜頭首工 (改修)1箇所(神竜頭首工) ・揚水機場 (改修)2箇所(神竜揚水機場、7丁目揚水機場) ・用水路 (改修)5条 L=11.1km ・排水路(改修、新設)4条 L= 9.9km |
道営農地整備事業(経営体育成)神竜秩父別地区 | H25~ R元 |
1,370,000 | 区画整理(整地・暗渠)53ha、揚水機場1箇所、用水路8,740m、排水路2,300m (R元完了) |
道営農地整備事業(経営体育成)日向地区 | H25~ R2 |
1,610,000 | 区画整理(整地・暗渠)76ha、揚水機場2箇所、用水路4,880m、排水路570m (R2完了) |
道営農地整備事業(経営体育成)大国地区 | H26~ R4 |
2,840,000 | 区画整理(整地・暗渠)162ha、用水路17,170m、排水路9,660m |
道営農地整備事業(経営体育成)東岩山西入地区 | H27~ R6 |
3,180,000 | 区画整理(整地・暗渠)160ha、用水路18,450m、排水路8,280m |
道営農地整備事業(経営体育成)出雲東3一期地区 | H28~ R6 |
1,600,000 | 区画整理(整地・暗渠)80ha、用水路4,460m、排水路1,850m |
道営農地整備事業(経営体育成)出雲東3二期地区 | H29~ R6 |
1,810,000 | 区画整理(整地・暗渠)76ha、用水路7,990m、排水路1,440m |
道営農地整備事業(経営体)一已中央2一期地区 | H28~ R6 |
1,490,000 | 区画整理(整地・暗渠)65ha、用水路6,710m、排水路1,160m |
道営農地整備事業(経営体)一已中央2二期地区 | H29~ R6 |
2,130,000 | 区画整理(整地・暗渠)120ha、用水路7,730m、排水路7,720m |
道営農地整備事業(経営体)西納内地区 | H30~ R8 |
3,510,000 | 区画整理(整地・暗渠)226ha、用水路12,330m、排水路3,920m |
道営農地整備事業(経営体)北納内1地区 | R元~ R9 |
2,470,000 | 区画整理(整地・暗渠)114ha、用水路7,030m、排水路2,840m |
道営農地整備事業(経営体)北納内2地区 | R2~ R10 |
1,670,000 | 区画整理(整地・暗渠)82ha、用水路6,050m、排水路2,430m |
道営農地整備事業(経営体)東納内1地区 | R3~ R11 |
2,720,000 | 区画整理(整地・暗渠)94ha、用水路11,240m、排水路1,420m |
道営農地整備事業(経営体)東納内2地区 | R4~ R12 |
2,800,000 | 区画整理(整地・暗渠)113ha、用水路4,190m、排水路2,560m |
道営農地整備事業(経営体)東納内3地区 | 未定 | 未定 | 事業着手に向けた調査計画(最終) |
土地改良施設維持管理適正化事業 | 随時 | 1式 | |
農業水路等長寿命化・防災減災事業 神竜地区 | R3~ R5 |
1式 | |
水利施設管理強化事業 神竜地区 | 随時 | 1式 | |
溝路修繕工事等 | 毎年 | 1式 | |
頭首工修繕工事等 | 毎年 | 1式 | |
揚水機修繕工事等 | 毎年 | 1式 |
※上記表中の総事業費、事業量は単数を切捨てている